「東南アジアの社会と文化研究会」のお知らせ

第75回研究会<2016/7/22>
下條 尚志氏
冷戦終結後ベトナム―カンボジア国境の越境者をめぐるローカルな政治


第75回「東南アジアの社会と文化研究会」を下記の通り開催します。

今回は、4月から東南アジア研究所に研究員として着任した下條尚志さんに、ベトナムーカンボジア間の越境者について発表していただきます。

オープンな研究会ですので、ぜひお気軽にご参集ください。
事前登録等の手続きは必要ありません。
また、研究会後には懇親会を予定しております。

●日時

2016年7月22日(金)16:00~18:00(15:30開場)

●場所

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
総合研究2号館4階カンファレンスルーム(エレベーター横)
(京都市左京区吉田本町京都大学本部構内百万遍のすぐ近くです。)
*いつもと会場が異なるのでご留意ください。

会場についてはこちらもご参照ください。
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/about/access.html

地図が二枚ありますが、下の方の地図(「本部構内」)です。

●話題提供者

下條尚志 (京都大学東南アジア研究所機関研究員)

●発表題目

冷戦終結後ベトナム―カンボジア国境の越境者をめぐるローカルな政治

●発表要旨

1970年代末にベトナムがカンボジアに侵攻してからの約10年間、この2つの国家は世界から孤立し、紛争と社会主義経済の混乱、それに起因する大量の難民の流出を経験した。冷戦終結の機運とともに、ベトナムとカンボジアが国際社会に復帰していく過程で、紛争の火種となっていた両国国境周辺の社会状況は、いかに変遷してきたのだろうか。国境を越えた移動をめぐって、住民と国家の間でどのような問題が生じてきたのだろうか。カンボジアでは、ベトナム軍が駐留していた時期に悪化した民族的な対立感情が、同軍撤退後も燻り、国境が政治問題化されてきたことは、いくつかの研究によって報告されてきた。一方で、紛争終結後の越境者の増加が、ベトナム側の地域社会やローカルな政治に及ぼした影響は、検討されてこなかったと言えよう。本発表は、この越境移動という問題について、ベトナム南部メコンデルタ沿岸部において、統計上クメール人の比率が高く、歴史的にカンボジア社会と関わってきた多民族的な一地域社会に焦点を当てて考察する。

ベトナム―カンボジア国境を越境する人、モノ、情報の流れは、1970年代後半のポル・ポト政権時代を除き、常に存在していた。ベトナム軍によるポル・ポト政権の打倒は越境者の流れを呼び戻し、社会主義改造下のベトナムからカンボジアを経由してタイへ逃れる難民の非合法ルートが生成された。そのなかにはカンボジアに留まって闇経済に従事する者も一部にはいたが、その後の1980年代後半におけるベトナム、カンボジアの市場経済化を機に、越境者は難民から経済移民へと大きく転換していった。

1986年にドイモイ(刷新)路線を打ち出したベトナム共産党政府が、市場経済を容認し、集団農業を中止すると、人々はそれぞれ多様な経済活動に従事し始めた。しかし、その移行の過程では新たな混乱が生起していた。地方政府による農地再分配事業は、旧所有者と現使用者の間での軋轢を招いた。社会主義改造下で導入され、ドイモイ後も廃止されなかった農業税や労役は、経済基盤の弱い人々が農地を売却せざるを得ない状況を生み出していた。

ドイモイ直後のこうした混乱をきっかけに、ドイモイ以前にすでに難民らによって生成されていたルートを利用し、非合法的な手段で国境を越え、カンボジアに出稼ぎに向かう者が増加していった。一方で、ベトナムの経済発展と政治社会の変動とともに、カンボジアから帰郷する住民も現れ始め、両国間の人、モノ、情報の行き交いは活性化していった。

本発表を通じて、紛争終結過程で生じたベトナム―カンボジア国境管理の脆弱化を背景に、越境する人、モノ、情報が増大してきたことによって、ベトナム側の地域社会の住民達とカンボジア社会との距離が急速に縮まってきたことを明らかにする。そして、そのことが、近年国境管理を強化しつつある政府と住民の間で時折生じる軋轢の背景になっていることを指摘する。

●2016年度世話人代表・研究会事務局

細田尚美
hosoda(at)asafas.kyoto-u.ac.jp
加藤裕美
kato(at)cseas.kyoto-u.ac.jp

●「東南アジアの社会と文化研究会」のウェブサイトには、今回の研究会の案内、発表要旨、研究発表に関わる写真が掲載されていますので、ご覧ください。

http://www.chiiki.cseas.kyoto-u.ac.jp/syakai-bunka/