「東南アジアの社会と文化研究会」のお知らせ

第60回研究会<2013/7/5>
平井京之介氏
苦しむ者のコミュニティ: ラオス仏教僧の知識と実践

第60回「東南アジアの社会と文化研究会」研究会を下記の通り開催します。オープンな研究会ですので、自由にご参加ください。事前の参加予約は必要ありません。

●日時

2013年7月5日(金)16:00~18:00(15:30開場)

●場所

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
総合研究2号館(旧・工学部 4号館)4階会議室(AA447)

●話題提供者

 平井京之介氏(国立民族学博物館)

●発表要旨

 本発表は、ラオスの首都ビエンチャン郊外にある通称「森の僧院」における現地調査に基づき、上座部仏教僧のコミュニティについて以下の問いに答えることを目的とする。僧のコミュニティはどのような知識を共有しているか。その知識はコミュニティにおいてどのように伝達されているか。その知識を通じて僧のコミュニティと社会とはどのような関係にあるか。
 ラオスの仏教は、1975年のラオス人民民主共和国成立以降、ラオス人民革命党の厳しい管理下におかれた。1980年代後半に経済開放政策を進めるようになると、同時に党はナショナリズムを醸成する手段として仏教を利用するようになった。その後、都市部を中心に一般の人びとのあいだで少しずつ仏教は人気を取り戻していく。2000年代に入って、相変わらず党の厳しい統制下ではあるが、サンガ(出家者集団)の一部で瞑想を中心とする独自の仏教復興運動が生まれるようになった。
 2002~2003年にかけて、わたしはそうした運動で中心的な役割を果たしていた仏教寺院、「森の僧院」において社会人類学的調査をおこない、その間、2002年には約3ヵ月間を出家僧として過ごした。今回の発表では、このときの出家経験で自ら学んだことを人類学的に考察することに取り組んでみようと思う。
 その際の導きの糸としては、最近わたしが日本の社会運動などを対象に検討してきた「実践としてのコミュニティ」というアプローチを考えている。すなわちラオス仏教僧のコミュニティを、知や実践の様式が生み出される実践の領域としてとらえることを試みる。また、橋爪大三郎による「<言語ゲーム>としての仏教」という考え方も、僧コミュニティの理解にたいへん有益だと思われるので、採り入れて話を進めてみたい。

[研究会世話人/事務局]
小林 知 (京都大学東南アジア研究所)
kobasa(at)cseas.kyoto-u.ac.jp