「東南アジアの社会と文化研究会」のお知らせ

第42回 <2009/05/22>
加藤 剛(龍谷大学社会学部)
「名づけの文化政治学: カンボジアの政体変容と首都プノンペンの道路名称の変遷をめぐって」

 「東南アジアの社会と文化」研究会を以下のとおり開催します。オープンな研究会ですので、自由にご参加ください。

配布資料

●日時

2009年5月22日(金) 16:00〜18:00 (15:30 開場)

●場所

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 稲盛財団記念館・3階・中会議室 (332号室)

※研究会は総合研究2号館ではなく、川端通に面した稲盛財団記念館で開催され
 ますので、ご注意ください。場所の詳細は、このページの「アクセス」から京都大
 学のアクセスマップにすすみ、「薬学部構内マップ」をごらんください。

●話題提供者

加藤 剛氏 (龍谷大学社会学部 ・ 教授)

●発表要旨

 東南アジア島嶼部の研究、なかでもインドネシアを中心に研究をしてきた人間が、どうしてカンボジアについて話をするという無謀な試みをすることになったのか----つまり、この知的迷走は如何に起こり、どのような道筋を辿ったのかが報告の枕である。基本的な問題意識は、東南アジアに限らず一般的に、植民地支配から独立したあとの国民国家は、旧植民地国家の首都を己の首都にする傾向にある、との観察から発する。すなわち、かつての植民地支配の中心を独立の中心としたわけである。これは一体どのように可能だったのか。当然、何らかの首都の物理的な造り替えや、支配の象徴から独立の象徴への読み替えを伴うのではないか、との疑問である。この問いをジャカルタについて検討したあと、比較の観点から東南アジアの幾つかの首都について考えてみた。そのひとつがカンボジアの首都プノンペンである。カンボジアが興味深いのは、単に植民地支配から独立しただけでなく、独立後も幾度かの政治体制変容を経験していることである。政体変容は首都のあり方にどのような変化を与えたのかを、ここでは道路名称の変遷から考えてみたい。資料は限られているが、取り上げるのは植民地期、旧カンボジア王国期(1953〜70)、カンプチア人民共和国期(カンボジア国期を含む)(1978〜93)、新カンボジア王国期(1993〜)である。現在のプノンペンにはどうして数字の道路名が多いのか(プノンペン地図に見る430の通りのうち320、74%が単なる数字の名称)、その理由についても考えてみたい。

 

[研究会世話人代表/事務局]
片岡 樹 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
伊藤正子 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)