「東南アジアの社会と文化研究会」のお知らせ

第36回 <2008/03/21>
伊藤友美氏(神戸大学)
「タイで上座部比丘尼サンガの復興は可能か? 出家の正当性をめぐる諸問題」

 「東南アジアの社会と文化」研究会を以下のとおり開催いたします。オープンな研究会ですので、ふるってご参集くださるようお願いいたします。

●日時

2008年3月21日(金) 16:00 −18:00 (15 :30 開場)

●場所

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
工学部4号館 4階会議室(AA447)

●話題提供者

伊藤 友美氏(神戸大学)

●発表要旨テーマ

 元来、仏教には男性出家者集団である比丘サンガとともに女性出家者の比丘サンガが存在していた。比丘尼サンガは、ブッダが叔母のマハーパジャーパティーを最初の比丘尼として出家させて以来、インド各地にその足跡を残し、アショーカ王の娘サンガミッター長老尼によって、セイロン島に伝えられた。その後、セイロン島の比丘尼サンガは、10世紀末ないし11世紀までに滅んだ。東南アジアには、大陸部・島嶼部とも、比丘尼サンガが存在したという議論の余地のない碑文の証拠は発見されていないという。現代に至るまで、長らくスリランカ、タイなどの上座部仏教圏の国々では、女性の比丘尼出家は不可能なものと受け止められてきた。
 1996年12月、上座部仏教を信仰する10名のスリランカ人女性が韓国のサンガから受戒し、上座部仏教の比丘尼として出家した。これが契機となって、以後、スリランカでは、比丘尼ないし沙弥尼(比丘尼となる前段階の見習いの尼僧)として出家する女性の数が着実に増加し、2004年半ばには、比丘尼約 400名、沙弥尼約800名にまでなった。スリランカ上座部仏教では、比丘尼サンガの復興がほぼ定着しつつあるといえる。
 スリランカにおける比丘尼サンガの復興は、タイ人の女性仏教徒にも影響を及ぼした。2001年2月、元タマサート大学文学部准教授チャスマン・カビラシンは、スリランカで上座部仏教の沙弥尼として出家し、タンマナンターと名乗った。タイに帰国したタンマナンターが、タイの比丘と同様に剃髪し、黄衣を着用した姿でテレビに出演すると、女性の出家の可否・比丘尼サンガの復興の是非をめぐって、タイで盛んに議論が交わされるようになった。タイ人女性の比丘尼出家に対する関心は、タンマナンターが比丘尼になった2003年ごろをピークに高まり、報告者が知り得た限りでは、2007年3月までに34名のタイ人女性が上座部の沙弥尼として出家し、2007年7月末までにそのうちの7名が比丘尼として出家した。しかし、2007年5月までに、11名の沙弥尼と比丘尼が黄衣の着用を断念し、白衣で在家戒を守る在来の女性修行者メーチーないしウバーシカーに戻っている。こうした状況は、タイの女性たちが沙弥尼ないし比丘尼になることに対し、決して無関心ではないにもかかわらず、タイ社会において、女性が男性の比丘と同じ黄衣を着用し出家者として生きることが決して容易ではないことを物語っている。つまり、タイでは、沙弥尼ないし比丘尼としての出家の正当性が十分な認知を得ていないのである。
 本報告では、従来、不可能であると考えられてきた上座部比丘尼サンガの復興が、どのような根拠を元に試みられているのか、またタイのサンガ、メーチー、出家者を支える在家仏教徒のコミュニティは、沙弥尼・比丘尼に対し、どのような態度を取っているのか、そして彼女たちの出家の正当性がなぜ不安定であるのかについて、検討していきたい。

 

[研究会世話人/事務局]
杉島敬志 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
林  行夫 (京都大学地域研究統合情報センター)
速水洋子 (京都大学東南アジア研究所)
伊藤正子 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
王 柳蘭  (京都大学大学院・アジアアフリカ地域研究研究科)