「東南アジアの社会と文化研究会」のお知らせ

第7回 <2002/03/22>
杉島敬志 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
「リオ語の『ドゥア』は『所有者』か?  『因果的支配』の概念について」

 第7回定例研究会を下記のような内容で開催します。今回は、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の杉島敬志さんが、インドネシアのフローレス島におけるフィールドワークでの経験をもとに他者理解を念頭において語ります。多くの方の参加をお待ちしています。また、研究会終了後、懇親会を行いますので、こちらにも振るってご参加下さい。なお、今回より定例研究会の開催曜日と時間が変わりますので御注意下さい。

報告内容の加筆修正版 『アジア・アフリカ地域研究』第2号に掲載

●日時

2002年3月22日(金) 16:00~18:00

●場所

京都大学東南アジア研究センター東棟2階第1教室

●話題提供者

杉島敬志(京都大学大学院)

●発表要旨

 他者理解を標榜する人類学のような学問においてさえ、他者理解の目覚しい成果はなかなかあがらない。その原因のひとつは、主体、個人、意図、文化、自然、意味、所有...等々の、私たちにとっては自然な概念をほとんど無意識的に他者理解のなかにしのびこませてしまうことにある。かといって、他者をそのまま他者として語ることはできない。
 これは確かにジレンマであるが、他者との対話をつづけるなかで、適切な理解に到達できたと感じる瞬間がある。今回の研究会では、インドネシアのフローレス島で話されるリオ語のドゥアという言葉の使用法について考え、それをつかって会話をするなかで思いついた「因果的支配」の概念について報告する。
 この概念によって、とりとめのない断片的な情報の数々――「新体制」時代の国家政策の影響、神の名前、ホスピタリティーにとむ人々の行動、ウィッチクラフト、2001年5月の不可解な殺人事件、食事の作法、錯綜とした政治共同体の内部構成、商品作物の価格高騰にともなう嫉妬、畑の広さを半分にする呪文、植物隠喩、ドゥアという言葉の理解しがたい使用法、人身供犠嫌疑によるラジャの失脚、古典的民族誌の記述内容、誤訳と思える古い辞書の語義説明――から、ある図柄がくっきりと浮かびあがってくるかのようだ。